鷲巣力 加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか  (岩波書店)

 何時の頃からかは分からないし、何らかのきっかけがあったというわけでもないのだけど、加藤を「羊の歌(続も含めて)」だけで判断してしまうことはmisleadingになるのでは、という思いは持つようになっていた。私が歳をとった、ただそれだけのことかもしれない。本として活字になったことをそのまま真に受けることはどうもよくない、という知恵のようなものが身に着いた、そんな立派なものでもないのだけど。

 本書を最初から最後まで通読したわけではない。こういう本の読み方はよくないとは思うのだけど。

 最初にミーハー的な関心だ、といわれればそれまでのことを書いておく。ヒルダさんの写真が公になるのはずいぶん先のこと、私が生きている間には写真を見る可能性はあまりないのだろうな、と思っていた。けど本書には1枚、ヒルダさんの写真がある。こういうお顔の方だったのか、と。

 加藤とヒルダさんは歳はあまり違わないのでは、とこれまた何の根拠もないのだけど漠然と思っていたけど、結構歳が離れているのだ。加藤と出会ったとき、ヒルダさんはまだ21歳だったのだ。学生だったのだろうか。

 そしてヒルダさんは1983年に49歳で亡くなっている。もうずいぶん前に亡くなっていたんだ。

 ヒルダさんについては本書に書かれている以上のことはもうあまり出てこないのかもしれない(本書にもそれほど多くのことが書かれているわけではないのだけど)。加藤がヒルダさん宛てに書いた手紙は将来公開される可能性はあるにしても。

 最初の結婚のことは羊の歌には全く出てこない。それどころか著者の言葉を使えば虚構、というかかなりの嘘といってもいいことを加藤は書いていた、ということになるのだろう。一体どういう考えでこれだけの虚構を作って活字にしたのだろう。全くの嘘、とは言えないのだろうとは思うけれど。

 男と女がくっついたり別れたりという話は全くの第三者には面白いとも言えるしそんなことは知りたくもないともいえるのだけど。

 ヒルダさんの写真はあるのだけど後の二人の女性の写真はない。ご遺族の方が承諾しなかったのだろうか。このあたり、よく分からない。ヒルダさんのご遺族の方は了解されたということだろうか。けどヒルダさんのご遺族のことは本書には触れられていないと思う(私が見落としているのかもしれないけど)。矢島翠さんはすでによく知られている方だし写真もお見かけしたことがある。

 本書が出版されるという広告を見たとき、何人かの方のことが思い浮かんだ。海軍の叔父さん、L中尉、原田義人。

(中略;また後でその気になれば続きは書きたいと思う)

 本書は加藤のことを考える人にとっては大きな転換点になるのではなかろうか。