冬の物語 イサク・ディネセン著 横山貞子訳 新潮社
一言で書ける。「この短編集はお勧めです。」
本当に久しぶりにいい本に出合った、という気がする。取り立てて華々しい事件が生じる、というわけではないけれど心がしんみりすると思う。訳者の力量ということになるのかも。
この訳書は英語版からの訳とのこと。ただデンマークの作家なのにどうして英語なのか、この点について横山貞子氏は何も書いていない。作者自ら英語で書いたのか、あるいは誰かが英語に訳したのか。
神谷美恵子さんについて その1
(その1、と書いたけどその2、の予定は今のところない)
神谷美恵子さんは長島愛生園で何をしていたのだろうか。
精神科医として働いていたに決まっているではないか、といわれそうだ。
けれどそもそも愛生園に行く必要があったのだろうか。また癩の人を隔離することについてどう考えていたのだろうか。
神谷美恵子さんが書いたものが全て活字になってはいないことは自明である。全て活字になるのはおそろしいほど先のことになるのだろう。
鶴見俊輔が岩波のPR誌「図書」で、「神谷美恵子は聖女である」と書いていたけれど私はこういう見方には賛成しない。人間においしい話などあるはずがない。美恵子さんといえども人間である。
若い頃、美恵子さんの著書に魅かれて繰り返し読んだものである。そんな私でさえ歳を取るにつれて疑問に思うことが出てきた。
柄谷行人『憲法の無意識』(岩波新書)
最後まで読んだわけではない。内容は憲法9条がなくなってしまわないことの理由を探ったもの。こういう説明こそが大切だ、と思う人もいればこんな説明は信用できない、と思う人もいるだろう。右派の人にとっても左派の人にとってもあまりおもしろくない説明かもしれない。特に護憲で頑張っている左派の政治家にとっては許せないかもしれない。
著者の説明が的を得ているかどうかはそう遠くない将来、結論が出るのかもしれない。
著者に賛成する、しないにかかわらず読んで損はないと思う。良書かどうかは人によるだろうと思う。
精神科の診療時間について
どなたの参考にもならないかもしれないが取りあえず書いておきたい。
一般的に考えれば、時間を割いて患者のいうことをよく聞いて、という医者がいい医者だと考えられているのかもしれない。けれど私は面接時間は短めの方がいいだろうという考えになった。もちろん時間を割いて介入しなければならない、そういう場合があることは当然のこと。けれど特別介入の必要がないのであれば、ということである。
今までに期間の長短はあれ接触のあった精神科医は7人か8人(数える気にはならない)。そしてお別れしてから(別の医者になり)あのお医者さん、いいお医者さんだったんだ、と思うようになった医者が二人。二人とも面接時間は短めであった。
患者の立場になれば、苦しい、辛い、話しを聞いてもらいたい、効果のある薬を出して欲しい、こう思うのは当たり前のことである。けれどそういう患者の訴えに対して、はいそうですか、それでは薬を変えてみましょう、とか薬の分量を増やしましょう、と簡単に応じる医者は考えものかもしれない。
これでは参考にならないか。
片手の郵便配達人
登場人物がやたらと多い(人名が多数出てくる)ということを別にすれば読みやすい訳だと思う。複雑な小説ではない。戦争文学、ということになるのだろうか。けれど戦場が描かれているわけではない。淡々と叙述は進む。主人公のヨハンは心の優しい青年だということがよく分かる。結末が何とも言いようがない。
よい精神科医とは
まあどなたかの参考になれば。
可もなく不可もない、こう感じられる精神科医が多分最も相性がいいということだと思う。私は精神科通いが長引いたけれど、実際にかかっているときには特にいい医者だとは思わなかったけれど、事情で別の医者になって、あああのお医者さん、いい医者だったんだと思うことが今までに2度あった。
「何だか少し物足りない感じはするけど、(まあいいか)」こう感じるのであればそのお医者さんはいい人だ、相性があっている、とも言える。
プラックティカルなアドバイスが多い医者は少し考えものかな。私の一番最初の医者がこのタイプだった。いろんなことを教えて下さったとは思うが、今になって思うに果たしてどうだったかな、というところ。
薬に関しては一般論を書くことは難しい。症状は人それぞれだろうから。
これでは参考にならないだろうか。